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り給ふ。我にもあらずあらぬ世に歸りたるやうにしばしは覺え給ふ。ながつき廿日のほどにぞをこたりはて給ひて、いと痛うおも瘦せ給へれどなかなかいみじうなまめかしうて、詠めがちにねをのみ泣き給ふ。見奉り咎むる人もありて「御ものゝけなめり」などいふもあり。右近を召し出でゝのどやかなる夕暮に物語などし給ひて、「猶いとなむあやしき。などてその人と知らせじとは隱い給へりしぞ。誠にあまの子なりともさばかりに思ふを知らで、隔て給ひしかばなむつらかりし」との給へば、「などてか深く隱しきこえ給ふ事は侍らむ。いつのほどにてかは何ならぬ御名のりを聞え給はむ。始よりあやしうおぼえぬさまなりし御事なればうつゝともおぼえずなむあるとの給ひて、御名がくしもさばかりにこそはと聞えたまひながら、等閑にこそ紛はし給ふらめとなむ憂き事におぼしたりし」と聞ゆれば、「あいなかりける心くらべどもかな。我はしか隔つる心もなかりき。唯かやうに人に免されぬふるまひをなむまだ習はぬことなる。うちに諫めの給はするを始め、つゝむ事多かる身にてはかなく人にたはぶれごとをいふも所せう取りなし、うるさき身の有樣になむあるを、はかなかりし夕より怪しう心にかゝりて、あながちに見奉りしも、かゝるべき契にこそは物し給ひけめと思ふもあはれになむ、又うちかへしつらうおぼゆる。かう長かるまじきにてはなどさしも心にしみて哀とおぼえ給ひけむ。猶委しうかたれ。今は何事をかくすべきぞ。七日七日のほとけかゝせても誰がためとか心のうちにも思はむ」との給へば、「何かは隔てきこえさせ侍らむ。自ら忍びすぐし給ひしことをなき御うしろに口さがなくやはと思ひ給ふるばかりになむ。