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こにかかへり侍らむ。いかになり給ひにきとか人にもいひ侍らむ。悲しき事をばさるものにて、人に言ひ騷がれ侍らむがいみじきこと」といひて泣き惑ひて「煙にたぐひて慕ひ參りなむ」といふ。「ことわりなれど、さなむ世の中はある。別れといふものゝ悲しからぬはなし。とあるもかゝるも同じ命の限あるものになむある。思ひ慰めてわれをたのめ」との給ひこしらへても、「かくいふ身こそは生きとまるまじき心地すれ」とのたまふもたのもしげなしや。惟光「夜は明方になり侍りぬらむ。はや歸らせ給ひなむ」と聞ゆれば、顧みのみせられて胸もつとふたがりて出で給ふ。路いと露けきにいとゞしき朝霧にいづこともなく惑ふ心地し給ふ。ありしながらうち臥したりつるさまうち交し給へりしが〈が恐衍〉、我が紅の御ぞの着られたりつるなどいかなりけむ契にかと道すがらおぼさる。御馬にもはかばかしく乘りたまふまじき御さまなれば又惟光添ひ扶けておはしまさするに、堤のほどにて馬よりすべりおりていみじく御心地惑ひければ、「かゝる路の空にてはふれぬべきにやあらむ。更にえいき着くまじき心地なむする」との給ふに、惟光も心地惑ひて、我がはかばかしくはさの給ふともかゝる道に率て出で奉るべきかはと思ふに、いと心あわだゝしければ、かはの水にて手を洗ひて、淸水の觀音を念じ奉りても、すべなく思ひ惑ふ。君も强ひて御心を起して、心の中に佛を念じ給ひて、又とかく助けられ給ひてなむ二條院へ歸り給ひける。怪しう夜深き御ありきを人々「見苦しきわざかな。このごろ例よりもしづ心なき御しのびありきのうちしきるなかにも、昨日の御氣色のいと惱ましう覺したりしにはいかでかくたどりありき給ふらむ」と歎き