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きのためしとなりぬべき事はあるなめり、忍ぶとも世にあること隱れなくて、うちにきこし召されむことを始めて人の思ひいはむ事、よからぬわらはべの口ずさびになりぬべきなめり、ありありてをこがましき名を取るべきかなと覺しめぐらす。辛うじて惟光の朝臣參れり。夜中曉といはず御心に隨へるものゝ今宵しも侍はで召しにさへ怠りつるを憎しと思ほすものから召し入れての給ひ出でむ事のあへなきにふと物もいはれ給はず。右近、大夫のけはひ聞くに始よりの事うち思ひ出でられてなくを、君もえ堪へ給はで我一人さかしがり抱き持ち給へりけるに、この人に息をのべ給ひてぞ悲しき事もおぼされける。とばかりいといたくえもとゞめず泣き給ふ。やゝためらひて「こゝにいと怪しき事のあるをあさましといふにも餘りてなむある。かゝるとみの事にはずきやうなどをこそはすなれとて、その事どもせさせむ願なども立てさせむとて、阿闍梨物せよと言ひ遣りつるは」との給ふに「昨日山へ罷り上りにけり。まづいと珍らかなる事にも侍るかな。かねて例ならず御心地の物せさせ給ふことや侍りつらむ」、「さる事もなかりつ」とて泣き給ふさまいとをかしげにらうたく、見奉る人もいと悲しくておのれもよゝと泣きぬ。「さいへど年うちねび世の中のとある事も鹽じみぬる人こそ物のをりふしは賴もしかりけれ。いづれもいづれも若きどちにて言はむ方もなけれど、この院もりなどに聞かせむことはいとびんなかるべし。この人一人こそむつまじうもあらめ。おのづから物言ひ漏しつべきくゑんぞくも立ち交りたらむ。まづこの院を出ておはしましね」といふ。「さてこれよりひとづくななる所はいかでかあらむ」との給ふ。「げにさぞ侍ら