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ど、世づかぬ御もてなしなれば物恐ろしくこそあれ」と、いと若びていへば、げにとほゝゑまれ給ひて「げにいづれか狐ならむな、唯謀られ給へかし」と懷かしげにの給へば、女もいみじく靡きて、さもありぬべう思ひたり。世になくかたはならむ事なりともひたぶるに隨ふ心はいと哀げなる人と見給ふに猶かの頭中將のとこなつ疑はしく、語りし心ざままづ思ひ出でられ給へど「忍ぶるやうこそは」とあながちにも問ひはて給はず。けしきばみてふと背き隱るべき心ざまなどはなければ、かれがれにとだえ置かむ折こそはさやうに思ひかはることもあらめ、心ながらも少しはうつろふ事あらむこそ哀なるべけれとさへおぼしけり。八月十五夜隈なき月かげ、ひま多かる板屋のこりなく漏り來て、見習ひ給はぬ住まひのさまもめづらしきに、曉近くなりにけるなるべし、隣の家々あやしき賤のをの聲々目さまして「あはれいと寒しや。今年こそなりはひにも賴む所少く田舍の通ひも思ひかけねばいと心ぼそけれ。北殿こそ聞き給ふや」など言ひかはすも聞ゆ。いと哀なるおのがじゝのいとなみに、起き出でゝそゝめきさわぐも程なきを、女いと耻しく思ひたり。えんだち氣色ばまむ人は消えも入りぬべき住まひのさまなめりかし。されどのどかにつらきも憂きも傍痛きことも思ひ入れたるさまならで、我がもてなしありさまはいとあではやにこめかしくて、まだなくらうがはしき隣の用意なさを、いかなる事とも聞き知りたるさまならねば、なかなか耻ぢかゝやかむよりは罪免されてぞ見えける。こほこほと鳴神よりもおどろおどろしく踏み轟かすからうすの音も枕がみとおぼゆ。あな耳かしがましと是にぞおぼさるゝ。何の響とも聞き入れたまは