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むきぬる世の去り難きやうに、みづからひそみ御覽ぜられ給ふと、つきじろひめくはす。君はいと哀と覺して「いはけなかりける程に思ふべき人々のうち捨てゝ物し給ひにける名殘、はぐゝむ人あまたあるやうなりしかど親しく思ひむつぶるすぢは又なくなむおもほえし。人となりて後は限あれば朝夕にしもえ見奉らず。心のまゝにとぶらひ參うづることはなけれど、猶久しう對めんせぬ時は心細く覺ゆるを、さらぬ別はなくもがなとなむ」など細やかに語らひ給ひて押しのごひ給へる御袖の匂もいと所せきまで薰り滿ちたるに、げに世に思へばおしなべたらぬ人の御すくせぞかしと、尼君をもどかしと見つる子どもゝ皆うち鹽たれけり。ずほふなど又々始むべきことなどおきての給はせて、出で給ふとて惟光にしそく召して、ありつる扇御覽ずれば、もてならしたるうつりがいとしみ深うなつかしうて、をかしうすさび書きたり。

 「心あてにそれかとぞ見るしら露のひかりそへたる夕がほの花」。そこはかとなく書きまぎらはしたるもあではかに故づきたればいと思の外にをかしう覺え給ふ。惟光に「この西なる家には何人の住むぞ。問ひ聞きたりや」とのたまへば、例のうるさき御心とは思へど、さはまうさで「この五六日こゝに侍れど、ばうざの事を思ひ給へあつかひ侍る程に隣の事はえ聞き侍らず」などはしたなげに聞ゆれば「憎しとこそ思ひたれな。されどこの扇の尋ぬべき故ありて見ゆるを、猶このあたりの心知れらむ者を召して問へ」との給へば、入りてこの宿守なるをのこを呼びて問ひ聞く。「やうめいの介なりける人の家になむ侍りける。男はゐなか