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く思ひ亂れ給ふ。女君もおとゞのかすめ給ひしことのすぢを、若しさもあらば何の名殘かはと歎かしうて、怪しくそむきそむきにさすがなる御もろ戀ひなり。おとゞもさこそ心づよがり給ひしかどたけからぬにおぼし煩ひて、かの宮にもさやうに思ひたちはて給ひなば又とかく改め思ひかゝづらはむ程、人のためも苦しく、我が御方ざまにも人笑はれにおのづからかろがろしき事やまじらむ、忍ぶとすれどうちうちのことあやまりも、世に漏りにたるべし、とかくまぎらはして猶まけぬべきなめりとおぼしなりぬ。うへはつれなくて恨み解けぬ御中なればゆくりなくいひよらむもいかゞとおぼし憚りて、ことごとしくもてなさむも人の思はむ所をこなり、いかなるついでしてかはほのめかすべきなどおぼすに、三月二十日おほい殿の大宮の御忌日にて極樂寺にまうで給へり。君達皆ひきつれ勢ひあらまほしく上達部などもあまた參り集ひ給へるに、宰相の中將をさをさけはひ劣らずよそほしくて、かたちなど只今いみじき盛りにねび行きて、取り集めめでたき人の御有樣なり。このおとゞをばつらしと思ひ聞え給へしより見え奉るも心づかひせられて、いといとう用意しもて靜めてものし給ふをおとゞも常よりは目とゞめ給ふ。御ず經などは六條院よりもせさせ給へり。宰相の君はましてよろづをとりもちて哀に營み仕うまつり給ふ。夕かけて皆歸り給ふほど花は皆散りみだれ霞たどたどしきに、おとゞむかしおぼし出でゝなまめかしううそぶきながめ給ふ。宰相も哀なる夕の氣色にいとゞうちしめりて、「あまげなり」と人々の騷ぐに猶ながめ入りて居給へり。心ときめきに見給ふことやありけむ、袖をひきよせて「などいとこよなくは