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と世の人も推し量るらむを、宿世のひく方にてなほなほしき事にありありてなびく、いとしりびに人わろきことぞや。いみじう思ひのぼれど心にしもかなはず、限あるものからすきずきしき心つかはるな。いはけなくより宮の內より生ひ出でゝ身を心にも任せず所せく、聊の事のあやまりもあらばかろがろしきそしりをや負はむとつゝみしだに、猶すきずきしきとがを負ひて世にはしたなめられき。位あさく何となき身の程、うちとけ心のまゝなるふるまひなどものせらるな。心おのづからおごりぬれば、思ひしづむべきくさはひなき時女のことにてなむ、賢き人むかしも亂るゝためしありける。さるまじき事に心をつけて人の名をもたてみづからも恨をおふなむつひのほだしとなりける。とりあやまりつゝ見む人のわが心にかなはず忍ばむ事難きふしありとも猶思ひかへさむ心をならひて、もしは親の心に讓り、もしは親なくて世の中かたほにありとも、人がら心苦しくなどあらむ人をば、それを片かどによせても見給へ。わがため人のため遂によかるべき心ぞ深うあるべき」などのどやかにつれづれなる折はかゝる心づかひをのみ敎へ給ふ。かやうなる御いさめにつきて、たはぶれにてもほかざまの心を思ひかゝるは哀に人やりならず覺え給ふ。女も常より殊におとゞの思ひ歎き給へる御氣色にはづかしううき身とおぼししづめど、うへはつれなくおほどかにてながめすぐし給ふ。御文は思ひあまり給ふ折々哀に心深きさまに聞え給ふ。たがまことをかと思ひながち世なれたる人こそあながちに人の心をも疑ふなれ。哀と見給ふふし多かり。「中務の宮なむ大殿にも御けしき給はりてさもやとおぼしかはしたなる」と人の聞えければ、お