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ずかたみにうしろ見むとおぼせ」とこしらへ聞え給へば「人の御つらさはともかくも知り聞えず、世の人にも似ぬ身のうきをなむ宮にもおぼし歎きて今さらに人笑へなることと御心を亂り給ふなれば、いとほしういかでか見え奉らむとなむ思ふ。大殿の北の方と聞ゆるもこと人にやは物し給ふ。かれはしらぬさまにておひ出で給へる人の、末の世にかく人の親だちもてない給ふつらさをなむおもほしのたまふなれど、こゝにはともかくも思はずや。もてない給はむさまを見るばかり」とのたまへば、いとようの給ふを、例の御心たがひにや苦しきことも出でこむ。「大殿の北の方のしり給ふ事にも侍らず。いつきむすめのやうにて物し給へばかく思ひおとされたる人の上まではしり給ひなむや。人の御おやげなくこそ物し給ふべかめれ。かゝる事の聞えあらばいと苦しかべき」など、日一日入り居て語らひ申し給ふ。暮れぬれば心も空にうきたちて、いかで出でなむとおぼすに雪かきたれてふる。かゝる空に降り出でむも人目いとほしう、この御氣色もにくげにふすべ恨みなどし給はゞ、なかなかことつけて我もむかひ火つくりてあるべきを、いとおいらかにつれなうもてなし給へるさまのいと心苦しければ、いかにせむと思ひ亂れつゝ格子などもさながらはし近う打ちながめて居給へり。北の方氣色を見て「あやにくなめる雪をいかで分け給はむとすらむ。夜も更けぬめりや」とそゝのかし給ふ。今は限りととゞむともと思ひめぐらし給へる氣色いと哀なり。「かゝるにはいかでか」との給ふものから猶「このごろばかり心の程をしらで、とかく人のいひなし、おとゞたちもひだり右に聞きおぼさむ事を憚りてなむ、とだえあらむはいとほしき。