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侍りしかば、出で立ち急ぎをなむ思ひ催され侍るに、この中將のいと哀にあやしきまで思ひ扱ひ心を騷がひ給ふを見侍るになむさまざまにかけとゞめられて今まで長びき侍り」と唯泣きに泣きて御聲のわなゝくもをこがましけれどさる事どもなればいと哀なり。御物語ども昔今の取り集め聞え給ふ序に「內のおとゞは日隔てず參り給ふこと繁からむを、かゝる序に對面のあらばいかに嬉しからむ。いかで聞え知らせむと思ふことの侍るを、さるべき序でなくては對面もありがたければ覺束なくてなむ」と聞え給ふ。「おほやけごとの繁きにや、私の志の深からぬにや、さしもとぶらひものし侍らず、のたまはすべからむことは何さまの事にかは。中將の恨めしげに思はれたる事も侍るを、始の事は知らねど今はけにくゝもてなすにつけて立ち初めにし名の取り返さるゝものにもあらず、をこがましきやうに却りては世の人も言ひ漏すなるをなど物し侍れど、立てたる所昔よりいと解け難き人の本性にて心得ずなむ見給ふる」とこの中將の御事と覺しての給へば、打ち笑ひ給ひて「言ふかひなきに許して捨て給ふ事もやと聞き侍りて、こゝにさへなむかすめ申すやうありしかどいと嚴しく諫め給ふ由を見侍りし後、何にさまでことをもまぜ侍りけむと、人わろう悔い思う給へてなむ。萬の事につけて淸めといふ事侍れば、いかゞはさも取り返しすゝい給はざらむとは思ひ給へながら、かう口をしき濁の末に待ち取り、深く澄むべき水こそ出でき難かべい世なれ。何事につけても末になれば落ち行くけぢめこそ易く侍るめれ。いとほしく聞き給ふる」など申し給ひて「さるはかの知り給ふべき人をなむ思ひまがふる事侍りて不意に尋ね取り