Page:Kokubun taikan 01.pdf/504

このページは校正済みです

ふ心ちして、春の曙の霞のまよりおもしろきかば櫻の咲き亂れたるを見る心ちす。あぢきなく見奉る。我が顏にも移りくるやうに愛敬は匂ひたり。又なくめづらしき人の御樣なり。みすの吹き上げらるゝを人々おさへて、いかにしたるにかあらむ打ち笑ひ給へる、いといみじう見ゆ。花どもを心苦しがりてえ見捨てゝ入り給はず。おまへなる人々もさまざまに物淸げなる姿どもは見渡さるれど目うつるべくもあらず。おとゞのいとけ遠く遙にもてなし給へるはかく見る人たゞにはえ思ふまじき御有樣を、いたり深き御心にて、若しかゝることもやとおぼすなりけりと思ふに、けはひ恐しくて立ちさるにぞ、西の御方よりうちの御障子ひき開けて渡り給ふ。「いとうたてあわたゞしき風なめり。御格子おろしてよ。をのこどもあるらむを、あらはにもこそあれ」と聞え給ふを、又よりて見れば、物聞えておとゞもほゝゑみてぞ見奉り給ふ。親とも覺えず若く淸らになまめきていみじき御かたちのさかりなり。女もねびとゝのひ、飽かぬ事なき御さまどもなるを見るに身にしむばかり覺ゆれど、この渡殿の東の格子も吹き放ちて、立てる所のあらはになれば恐しくて立ちのきぬ。今參るやうにうちこわづくりてすのこの方に步み出で給へれば、「さればよ、あらはなりつらむ」とて「かの妻戶のあきたりけるよ」と今ぞ見咎め給ふ。年頃かゝることの露なかりつるを、風こそげに巌も吹き上げつべきものなりけれ、さばかりの御心どもをさわがして珍しく嬉しきめを見つるかなと覺ゆ。人々まゐりて、「いといかめしう吹きぬべき風には侍り。うしとらの方より吹き侍ればこのおまへはのどけきなり。うま塲のおとゞ、南の釣殿などは危げになむ」とてとかく