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いふ聲ぞいとしたどきや。あなうたてとおぼして御供の人のさきおふをも、手かき制し給ひて猶妻戶のほそめなるよりさうじのあきあひたるを見いれ給ふ。この人もはた氣色はやれる、「御返しや御返しや」とどうをひねりつゝとみにも打ち出でず。中に思ひはありやすらむいとあさえたるさまどもしたり。かたちはひぢゞかにさすがに愛敬づきたる方にて、かみ麗しうつみかろげなるを、ひたひのいと近やかなると聲のあはつけさとにそこなはれたるなめり。取りたてゝよしとはなけれどこと人とあらがふべくもあらず。鏡に思ひ合せられ給ふにいとすくせ心づきなし。「かくてものし給ふはつきなくうひうひしくなどやある。事繁くのみありてえとぶらひまうでずや」とのたまへば、例のいとしたどにて、「かくて侍へば何の物思ひか侍らむ。年頃おぼつかなくゆかしう思ひ聞えさせし御顏、常にえ見奉らぬばかりこそ手うたぬ心地し侍れ」と聞え給ふ。「げに身に近うつかふ人もをさをさなきに、さやうにても見ならし奉らむとかねては思ひしかど、えさしもあるまじきわざなりけり。なべての仕うまつり人こそ、とあるもかゝるもおのづから立ち交らひて、人の耳をも目をも必ずしもとめぬものなれば心安かべかめれ。それだにその人のむすめかの人の子など知らるゝきはになれば、親はらからのおもてぶせなる類ひ多かめり。まして」との給へさしつる御氣色の恥しきも知らず「何かそはことごとしく思ひ給へてまじらひ侍らばこそ所せからめ。おほみおほつぼとりにも仕うまつりなむ」と聞え給へば、え念じ給はでうち笑ひ給ひて、「似つかはしからぬ役なゝり。かくたまさかにあへる親にけうぜむの心あらば、この物のたまふ聲を少しのど