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ぼれ」と語り給へば、ほのぼの心えて、爭でと覺すことなればいとゞ訝かしうて「このわたりにさりぬべき御遊の折などに聞き侍りなむや。怪しき山賤などの中にもまねぶものあまた侍ることなればおしなべて心安くやとこそ思ひ給へつれ。さは勝れたるは、さまことにや侍らむ」とゆかしげにせちに心入れて思ひ給へれば、「さかし、あづまとこそ名も立ちくだりたるやうなれど、おまへの御あそびにもまづふんのつかさを召すは、人の國は知らず。こゝにはこれを物の親としたるにこそあめれ。その中にも、親としつべき御手よりひきとり給へらむは心殊なりなむかし。こゝになどもさるべからむ折には物し給ひなむを、このことに手をしまずなど、あきらかに搔き鳴し給はむことやかたからむ。物の上手はいづれの道も心安からずのみぞあめる。さりとも遂には聞き給ひてむかし」とてしらべ少しひき給ふ。ことつびきびう今めかしうをかし。これにもまさる音や出づらむと、親の御ゆかしさの立ち添ひてこの事にてさへいかならむ世にさて打ち解けひき給はむを聞かむなど思ひ居たまへり。「ぬきがはのせゞのやはらた」などいとなつかしう謠ひ給ふ。親さくるつまは、少しうち笑ひつゝ、わざともなく搔き鳴し給へるすがゞきの程、いひ知らずおもしろう聞ゆ。「いでひき給へ、ざえは人になむ耻ぢぬわざなり。さうふれんばかりこそ心の中に思ひて紛はす人もありけめ。おもなくて、彼此にひき合せたるなむよき」とせちに聞え給へど、さる田舍のくまにてほのかに京人と名のりけるふる大君女の敎へ聞えければ、ひがことにもやとつゝましくて手觸れ給はず。暫しもひき給はなむ聞き取ることもやと心もとなきに、この御事によりてぞ、近う