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り。「中將を厭ひ給ふこそおとゞはほいなけれ。まじりものなくきらきらしかめる中に、大君だつすぢにてかたくななりとにや」との給へば、「きまさばといふ人も侍りけるを」と聞え給ふ。「いでその御さかなもてはやされむさまは願はしからず。唯をさなきどち結び置きけむ心も解けず、知らず顏にてこゝに任せ給へらむに、後めたうはありなましや」などうめき給ふ。さはかゝる御心の隔ある御中なりけりと聞き給ふにも、親に知られ奉らむことのいつとなきを哀にもいぶせくもおぼす。月もなき頃なればとうろにおほとなぶらまゐれる、「猶けぢかくてあつかはしや。篝火こそよけれ」とて人召して「篝火の臺ひとつこなたに」と召す。をかしげなるわごんのあるをひきよせ給ひて、「かやうの事は御心にいらぬすぢにやと、月頃思ひおとし聞えけるかな。秋の夜の月影凉しき程、いと奧深くはあらで、蟲の聲にかき鳴し合せたるほど、け近う今めかしきものゝ音なり。ことごとしきしらべもなしや。しどけなしや。このものよ。さながら多くの遊びものゝね、拍子を整へとりたるなむいとかしこき。やまと琴とはかなう見せてきはもなくしおきたることなり。廣くことくにの事を知らぬ女のためとなむ覺ゆる。同じくは心とゞめてものなどに搔き合せてならひ給へ。深き心とて何ばかりもあらずながら、又誠にひきうる事はかたきにやあらむ。只今はこの內のおとゞになずらふ人なしかし。唯はかなき同じすがゞきのねに萬のものゝ音こもり通ひて、いふ方もなくこそ響きの