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見むは飽かぬ事にやあらむと見給へど、ことにあらはしてものたまはず。今は唯大かたの御むつびにておましなどもことことにて大殿ごもる。「などてかくはなれそめしぞ」と殿は苦しがり給ふ。大かたなにやかやともそばみ聞え給はで、年頃かく折ふしにつけたる御遊どもを人づてにのみ聞き給ひけるに、今日珍しかりつることばかりをぞ、この町のおぼえきらきらしとおぼしたる。

 「そのこまもすさめぬ草と名にたてる汀のあやめ今日やひきつる」とおほどかに聞え給ふ。なにばかりのことにもあらねどあばれとおぼしたり。

 「にほどりにかげをならぶる若駒はいつかあやめにひき別るべき」。あいたちなき御事どもなりや。「朝夕の隔あるやうなれど、かくて見奉るは心安くこそあれ」とたはぶれごとなれどのどやかにおはする人ざまなれば靜まりて聞えなし給ふ。ゆかをば讓り聞え給ひて御几帳引き隔てゝ大殿ごもる。けぢかくなどあらむすぢをばいと似げなかるべきことに思ひ離れ聞え給ふべければあながちにも聞え給はず。

長雨例の年よりもいたくして晴るゝ方なくつれづれなれば、御かたがた繪物語などのすさびにて明し暮し給ふ。明石の御方はさやうのことをもよしありてしなし給ひて、姬君の御方に奉り給ふ。西の對にはまして珍しくおぼえ給ふことのすぢなれば明暮書き讀みいとなみおはす。つきなからぬわかうどあまたあり。さまざまに珍らかなる人のうへなどを、まことにやいつはりにや言ひ集めたる中にも、我が有樣のやうなるはなかりけりと見給ふ。住吉の姬君のさしあたりけむ折はさるものにて、今の