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り給ふ御中なれど、かくよき折しもあり難ければ、ことに出で給へるついでの御ひたぶる心にや、懷しきほどなる御ぞどものけはひはいとようまぎらはしすべし給ひて近やかに臥し給へば、いと心うく人の思はむ事も珍らかにいみじうおぼゆ。まことの親の御あたりならましかば、おろかには見放ち給ふともかくざまの憂き事はあらましやと悲しきに、つゝむとすれどこぼれ出でつゝいと心苦しき御氣色なれば、「かうおぼすこそつらけれ。もてはなれ知らぬ人だに世のことわりにて皆ゆるすわざなめるを、かく年經ぬるむつましさにかばかり見え奉るや何のうとましかるべきぞ。これよりあながちなる心はよも見せ奉らじ。おぼろけに忍ぶるにあまる程を慰むるぞや」とてあはれげに懷しう聞え給ふ事多かり。ましてかやうなるけはひは唯昔の心ちしていみじうあはれなり。我が御心ながらもゆくりかにあはつけきこととおぼし知らるれば、いと能くおぼしかへしつゝ人もあやしと思ふべければいたう夜もふかさで出で給ひぬ。「思ひ疎み給はゞいと心うくこそあるべけれ。よその人はかうほれぼれしくはあらぬものぞよ。かぎなり底ひしらぬ心ざしなれば人の咎むべきさまにはよもあらじ。唯昔戀しきなぐさめにはかなき事も聞えむ。同じ心にいらへなどし給へ」といとこまやかに聞え給へど、我にもあらぬさましていとゞ憂しとおぼいたれば、「いとさばかりには見奉らぬ御心ばへをいとこよなくも憎み給ふべかめるかな」と歎き給ひて、「ゆめ氣色なくを」とて出で給ひぬ。女君も御年こそすぐし給ひにたる程なれ。世の中を知り給はぬ中にも少しうち世なれたる人の有樣をだに見知り給はねば、これよりけ近きさまにもおぼし