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を厭ひがてらに求むなれど、それも人々煩はしがるなり。さもあべいことなればさまざまになむ人しれず思ひ定めかね侍る。かうざまのことは親などにもさわやかに我が思ふさまとて語り出で難きことなれど、さばかりの御齡にもあらず。今はなどか何事をも御心にはわい給はざらむ。まろを昔ざまになずらへて母君と思ひない給へ。御心に飽かざらむことは心苦しく」などいとまめやかにて聞え給へば、苦しうて御いらへ聞えむともおぼえ給はず。いと若々しきもうたて覺えて「何事も思ひしり侍らざりける程より親などは見ぬものに習ひ侍りて、ともかくも思う給へられずなむ」と聞え給ふさまのいとおいらかなれば、げにとおぼいて、「さらば世のたとひののちの親をそれとおぼいて、おろかならぬ心ざしのほども見顯しはて給ひてむや」などうち語らひ給ふ。おぼすさまのことはまばゆければえうち出で給はず。氣色あることばゝ時々まぜ給へど見しらぬさまなれば、すゞろにうち歎かれて渡り給ふ。おまへ近き吳竹のいと若やかに生ひたちて打ち靡くさま懷しきに、立ちとまり給ひて、

 「ませのうちに根深くうゑし竹のこのおのが世々にや生ひわかるべき。思へばうらめしかべいことぞかし」とみすを引き上げて聞え給へば、ゐざりいでゝ、

 「今さらにいかならむ世かわか竹のおひはじめけむ根をば尋ねむ。なかなかにこそ侍るらめ」と聞え給ふを、いとあはれとおぼしけり。さるは心のうちにはさも思はずかし、いかならむ折聞え出でむとすらむと心もとなくあはれなれど、このおとゞの御心ばへのいとありがたきを、親と聞ゆとももとより見馴れ給はぬはえかうしも細やかならずやと、昔物語を見