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 「春の池や井手のかはせにかよふらむ岸の山吹そこもにほへる」、

 「龜の上の山もたづねじ船のうちに老いせぬ名をばこゝにのこさむ」、

 「春の日のうらゝにさして行く船は棹のしづくも花ぞちりける」などやうのはかなき事どもを我が心々に言ひかはしつゝ、行くかたも歸らむ里も忘れぬべう若き人々の心を移すにことわりなる水の面になむ。暮れかゝるほどにわうじやうといふがくおもしろく聞ゆるに、心にもあらず釣殿にさし寄せられておりぬ。こゝのしつらひいとことそぎたるさまになまめかしきに、御かたの若き人ども我も劣らじと盡したるさうぞくかたち、花をこきまぜたる錦に劣らず見えわたる。世にめなれず珍らかなるがくども仕うまつる。まひ人など心ことに選ばせ給ひて人の御心ゆくべき手の限を盡させ給ふ。夜に入りぬればいと飽かぬ心地して御前の庭に篝火ともして、みはしのもとの苔のうへにがく人召して上達部みこたちも皆おのおの彈物吹物とりどりにし給ふ。ものゝ師ども殊に勝れたるかぎりそうでう吹きたてゝ、うへに待ちとる御琴どものしらべいと華やかに搔き立てゝ、あなたうと遊び給ふ程生けるかひありと、何のあやめもしらぬしづのをもみかどのわたりひまなき馬車のたちとにまじりてゑみさかえ聞きけり。空の色ものゝ音も春のしらべひゞきはいと殊にまさりけるけぢめを人々おぼしわくらむかし。よもすがら遊び明し給ふ。かへり聲に喜春樂たちそひて、兵部卿宮あをやぎをりかへしおもしろく謠ひ給ふ。あるじのおとゞもこと加へ給ふ。夜も明けぬ。朝ぼらけの鳥のさへづりを中宮は物隔てゝねたう聞しめしけり。いつも春の光をこめ