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らぬ心のしるべを思はずにもおぼめい給ふかな。すきがましきさまにはよに見え奉らじ。思ふ事少し聞ゆべきぞ」とていとちひさやかなれば搔き抱きてさうじのもとに出で給ふにぞ、覓めつる中將だつ人きあひたる。「やゝ」とのたまふに怪しくて探り寄りたるにぞ、いみじくにほひ滿ちて顏にもくゆりかゝる心地するに思ひよりぬ。あさましう、こは如何なる事ぞと思ひ惑はるれど聞えむかたなし。並々の人ならばこそ荒らかにも引きかなぐらめ。それだに人のあまたしらむはいかゞあらむ。心もさわぎて慕ひ來たれどどうもなくて奧なるおましに入り給ひぬ。さうじをひきたてゝ「曉に御迎にものせよ」とのたまへば、女はこの人の思ふらむ事さへ死ぬばかりわりなきに流るゝまで汗になりていとなやましげなるいとほしけれど、例のいづくよりとうで給ふ言の葉にかあらむ、あはれしらるばかりなさけなさけしくのたまひ盡すべかめれど、猶いとあさましきに、「現とも覺えずこそ。數ならぬ身ながらも覺しくだしける御心の程もいかゞ淺くは思ひ給へざらむ。いとかやうなるきははきはとこそ侍るなれ」とてかく押したち給へるを、深くなさけなく憂しと思ひ入りたるさまも、實にいとほしく心耻しきけはひなれば「そのきはぎはをまだ思ひ知らぬ初事ぞや。なかなかおしなべたるつらに、思ひなし給へるなむうたてありける。おのづから聞き給ふやうもあらむ、あながちなるすき心は更にならはぬを、さるべきにや、實にかくあはめられ奉るも、ことわりなる心惑ひを自らも怪しきまでなむ」など、まめだちて萬にのたまへど、いとたぐひなき御有樣のいよいようち解け聞えむ事わびしければ、すくよかに心づきなしとは見え奉るとも、さ