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 「年を經ていのる心のたがひなばかゞみの神をつらしとや見む」とわなゝかし出でたるを、「いでやこはいかにおぼさるゝ」とゆくりかにより來たるけはひにおびえておとゞ色もなくなりぬ。むすめたちはさはいへど心强く笑ひて「この人のさまことに物し給ふをひきたがへ侍らばつらく思はれむを、なほぼけぼけしき人のかみかけて聞えひがめ給ふなめりや」ととき聞かす。「おい、さりさり」とうなづきて「をかしき御口つきかな。なにがしら田舍びたりといふ名こそ侍れ、口惜しき民には侍らず。都の人とても何ばかりかあらむ、皆知りて侍り。なおぼしあなづりそ」とて又よまむと思へれども堪へずやありけむいぬめり。次郞が語らひとられたるもいと恐しく心憂くてこの豐後の介をせむれば、「いかゞは仕うまつるべからむ。語らひ合すべき人もなし。まれまれのはらからはこのげんに同じ心ならずとて中たがひにたり。このげんにあたまれてはいさゝかの身じろきせむも所せくなむあるべき。なかなかなるめをや見む」と思ひ煩ひにたれど、姬君の人知れずおぼいたるさまのいと心苦しくていきたらじと思ひ沈み給へる、ことわりとおぼゆればいみじき事を思ひ構へて出で立つ。妹たちも年比經ぬるよるべを捨てゝこの御供に出で立つ。あてきといひしは今は兵部の君といふぞ添ひてよる逃げ出でゝ船に乘りける。大夫のげんは肥後にかへりいきてふ月の廿日のほどに、日どりて來むとするほどにかくて逃ぐるなりけり。姉おもとはるゐ廣くなりてえ出で立たず。かたみにわかれをしみてあひ見むことのかたきを思ふに年經つる故鄕とて殊に見捨てがたきこともなし。たゞ松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るゝをなむかへり