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 「來し方もゆくへも知らぬ沖に出でゝあはれいづくに君を戀ふらむ」。鄙の別におのがしゞ心をやりていひける。金のみ崎を過ぎて我はわすれずなど夜とゝものことぐさになりてかしこに至り着きては、まいて遙なる程を思ひやりて戀ひ泣きてこの君をかしづきものにて明し暮す。夢などにいとたまさかに見え給ふ時などもあり。同じさまなる女など添ひ給うて見え給へば名殘心地惡しく惱みなどしければ猶世になくなり給ひにけるなめりと思ひなるもいみじくのみなむ。少貳任はてゝのぼりなむとするに遙けきほどに殊なる勢なき人はたゆたひつゝすがすがしくも出で立たぬ程に重き病して死なむとする心地にもこの君のとをばかりにもなり給へるさまのゆゝしきまでをかしげなるを見奉りて「我さへうち捨て奉りていかなるさまにはふれ給はむとすらむ。あやしき所におひ出で給ふもかたじけなく思ひ聞ゆれど、いつしかも京にゐて奉りてさるべき人々にも知らせ奉らむにも、都は廣き所なればいと心安かるべしと思ひ急ぎつるを、こゝながら命堪へずなりぬること」と後めたがる。をのこゞ三人あるに「唯この姬君京にゐて奉るべき事を思へ。我が身のけうをばな思ひそ」となむ言ひ置きける。その人の御子とはたちの人にも知らせず、たゞ「うまごのかしづくべきゆゑある」とぞいひなしければ、人に見せず限なくかしづき聞ゆる程に俄にうせぬればあはれに心細くて唯京のいでたちをすれど、この少貳の中惡しかりける國の人多くなどしてとざまかうざまにおぢ憚りて我にもあらで年を過ぐすに、この君ねび整ひ給ふまゝに母君よりもまさりて淸らに父おとゞのすぢさへ加はればにや品高く美しげなり。心ばせお