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ることは猶大殿には及ぶまじかりけり。物淸げに今めきてそのものとも見ゆまじうしたてたるやうだいなどのありがたうをかしげなるをかう譽めらるゝなめり。例の舞姬どもよりは、皆少しおとなびつゝげに心ことなる年なり。殿參り給ひて御覽ずるに昔御目とまり給ひしをとめの姿をおぼしいづ。たつの日の暮つかたつかはす。御文のうち思ひやるべし。

 「をとめ子も神さびぬらし天津袖ふるき世の友よはひ經ぬれば」。年月のつもりを數へて、うちおぼしけるまゝのあはれを忍び給はぬことのをかしう覺ゆるもはかなしや。

 「かけていへば今日のことゝぞ思ほゆる日かげの霜の袖にとけしも」。淸摺の紙よくとりあへてまぎらはし書いたるこ墨、薄墨、草がちにうちまぜ亂れたるも人の程につけてはをかしと御覽ず。くわざの君も人の目とまるにつけても人知れず思ひありき給へどあたり近くだによせずいとけゝしうもてなしたれば物つゝましき程の心には歎しうて止みぬ。かたちはしもいと心につきてつらき人のなぐさめにも見るわざしてむやと思ふ。やがて皆留めさせ給ひて宮仕すべき御氣色ありけれどこの度はまかでさせて近江のは辛崎の祓津のかみはなにはといどみてまかでぬ。大納言も殊更に參らすべきよし奏せさせ給ふ。左衞門督その人ならぬを奉りてとがめありけれどそれもとゞめさせ給ふ。津のかみは、ないしのすけあきたるにと申させたれば、さもやいたはらましと大殿もおぼいたるを、かの人は聞きたまひていと口をしと思ふ。我が年のほど位などかく物げなからずば乞ひ見てましものを、思ふ心ありとだにしられでやみなむことゝわざとのことにはあらねどうちそへて淚ぐまるゝ折々あ