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學問せさせ奉り給ひける。大宮の御許にもをさをさ參うで給ばず、よるひるうつくしみて、猶ちごのやうにのみもてなし聞え給へれば彼處にてはえ物習ひ給はじとて靜なる所に籠め奉り給へるなりけり。月に三度ばかりを參り給へとぞ許し聞え給ひける。つと籠り居給ひていぶせきまゝに殿をつらくもおはしますかな、かく苦しからでも高き位にのぼり世に用ゐらるゝ人はなくやはあると思ひ聞え給へど大方の人がらまめやかにあだめきたる所なくおはすればいと能く念じていかでさるべき文ども疾く讀みはてゝまじらひもし世にも出でたらむと思ひて唯四五月の中に史記などいふふみは讀みはて給ひてけり。今は寮試うけさせむとてまづ我が御まへにて心みせさせ給ふ。例の大將左大辨式部の大輔左中辨などばかりして御師の大內記を召して史記のかたき卷々れうし受けむに博士のかへさうべき節々を引き出でゝひとわたり讀ませ奉り給ふに至らぬ隈なくかたがたに通はし讀み給へるさまつまじるし殘らずあさましきまでありがたければさるべきにこそおはしけれと誰も誰も淚落し給ふ。大將はまして、「故大臣おはせましかば」と聞え出でゝ泣き給ふ。殿もえ心强うもてなし給はず「人の上にてかたくなゝりと見聞き侍りしを子のおとなぶるに親の立ちかはりしれ行くことは幾何ならぬ齡ながらかゝる世にこそ侍りけれ」などの給ひておしのごひ給ふを見る御師の心ち嬉しくめいぼくありと思へり。大將盃さし給へば、いたう醉ひしれてをる顏つきいとやせやせなり。也のひがものにてざえの程よりは用ゐられず、すげなくて身貧しくなむありけるを御覽じうる所ありてかくとりわき召し寄せたるなりけり。身に餘るまで