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聞しめしたらむと賴み聞えさするを世にあるものともかずまへさせ給はぬになむ。院の上をばおとゞと笑はせ給ひし」など名のり出づるにぞおぼし出づる。源內侍のすけといひし人は尼になりてこの宮の御弟子にて行ふと聞きしかど、今まであらむとも尋ね知り給はざりつるをあさましうなりぬ。「その世の事は皆昔がたりになり行くを遙に思ひ出づるも心細きにうれしき御聲かな。親なしにふせる旅人とはぐゝみ給へかし」とて寄り居給へる御けはひにいとゞ昔思ひ出でつゝ、ふりがたくなまめかしきさまにもてなして、いたうすげみにたる口つき思ひやらるゝこわづかひの流石にしたつきにてうちざれむとは猶思へり。云ひこし程になど聞えかゝるまばゆさよ。今しもきたる老のやうになどほゝゑまれ給ふものからひきかへこれも哀なり。このさかりにいどみし女御更衣、あるはひたすらなくなり給ひあるはかひなくてはかなき世にさすらへ給ふもあべかめり。入道の宮などの御齡ひよ、あさましとのみおぼさるゝ世に、年のほど身の殘少なげさに心ばへなども物はかなく見えし人のいきとまりてのどやかに行ひをもうちして過ぐしけるは猶すべて定めなき世なりとおぼすに、物哀なる御氣色を心ときめきに思ひてわかやぐ。

 「年經れどこのちぎりこそわすられぬ親のおやとかいひしひとこと」と聞ゆればうとましくて

 「身をかへて後も待ち見よこの世にて親を忘るゝ例ありやと。たのもしき契ぞや。今のどかにぞ聞えさすべき」とて立ち給ひぬ。西おもてには御格子參りたれど厭ひ聞えがほならむ