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かけて近く人々さふらはせ給ひて物語などせさせ給ふ。かうあながちなる事に胸ふたがるすくせの猶ありけるよとわれながらおぼし知らる。これはいと似げなきことなり。恐しう罪深き方は多くまさりけめど、古のすきは思ひやりすくなき程のあやまちに、ほとけ神も免し給ひけむとおぼしさますも、猶この道はうしろやすく深き方のまさりけるかなとおぼし知らせ給ふ。女御は秋のあはれを知りがほにいらへ聞えけるも悔しうはづかしと御心ひとつに物むつかしう惱しげにさへし給ふを、いとすくよかにつれなくて常よりもおやがりありき給ふ。をんな君に「女御の秋に心をよせ給へりしもあはれに君の春の曙に心しめ給へるもことわりにこそあれ。時々につけたる木草の花によせても御心とまるばかりの遊びなどしてしがな。公私のいとなみしげきみこそふさはしからね。いかで思ふ事してしがなと唯御ためさうざうしくやと思ふこそ心苦しけれ」など語らひ聞え給ふ。山里の人も、いかになど絕えずおぼしやれど所せさのみまさる御身にて渡り給ふこといとかたし。世の中を味氣なく憂しと思ひ知る氣色などかさしも思ふべき。心やすく立ち出でゝおほざうの住ひはせじと思へるをおほけなしとはおぼすものからいとほしくて例の不斷の御念佛にことづけて渡り給へり。住み馴るゝまゝに、いと心すごげなる所のさまにいと深からざらむことにてだにあはれそひぬべし。まして見奉るにつけても、つらかりける御契のさすがに淺からぬを思ふに、なかなかにて慰め難き氣色なれば、こしらへかね給ふ。いと木しげき中より、篝火どものかげの、遣水の螢に見えまがふもをかし。「かゝるすまひにしほじまざらましかば、珍らかに覺