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るゝをなむ慰めに思う給へなせど燃えし煙のむすぼゝれ給ひけむは猶いぶせうこそ思ひ給へらるれ」とて今一つはのたまひさしつ。「中頃身のなきに沈み侍りし程かたがたに思ひ給へしことかたはしづゝかなひにたり。ひんがしの院にものする人のそこはかとなくて心苦しう覺え渡り侍りしもおだしう思ひなりにて侍り。心ばへのにくからぬなど我も人も見給へあきらめていとこそさはやかなれ。かく立ちかへり公の御後見仕うまつる喜びなどはさしも心に深くしまず、かやうなるすきがましき方はしづめ難うのみ侍るをおぼろげに思ひ忍びたる御後見とはおぼし知らせ給ふらむや。哀とだにのたまはせずは、いかにかひなく侍らむ」とのたまふ。。むづがしうて御いらへもなければ「さりや、あな心う」とて異事に言ひ紛はし給ひつ。「今はいかでのどやかに生ける世のかぎり思ふこと殘さず後の世のつとめも心に任せて籠り居なむと思ひ侍るをこの世の思出にしつべきふしの侍らぬこそさすがに口惜しう侍りぬべけれ。數ならぬ幼き人の侍る、おひさきいと待遠なりや。辱くとも猶この門廣げさせ給ひて、侍らずなりなむ後にもかずまへさせ給へ」など聞え給ふ。御いらへはいとおほどかなるさまに辛うじてひとことばかりかすめ給へるけはひ、いとなつかしげなるに聞きつきてしめじめと暮るゝまでおはす。「はかばかしき方ののぞみはさるものにて年の內ゆき更る時々の花紅葉空の氣色につけても心の行く事もし侍りにしがな。春の花の林秋の野のさかりをとりどりに人あらそひ侍りけるその頃のげにと心よるばかりあらはなる定こそ侍らざなれ。唐土には戀の花の錦にしくものなしといひはべめり。やまと言の葉には秋の哀