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にも皆ありけるを、これはさやうなる事なく唯もとよりのたから物、え給ふべきつかさ、かうぶり、み封のものゝさるべきかぎりして、誠に心深き事どものかぎりをしおかせ給へれば何とわくまじき山伏などまで惜み聞ゆ。をさめ奉るにも世の中ひゞきて悲しと思はぬ人なし。殿上人などなべてひとつ色に黑みわたりて物のはえなき春の暮なり。二條院の御まへの櫻を御覽じても花の宴の折など思し出づ。「今年ばかりは」とひとりごち給ひて人の見咎めつべければ御念ず堂に籠り居給ひて日一日泣き暮し給ふ。夕日華やかにさして山際の木ずゑあらはなるに雲の薄く渡れるがにび色なるを何事も御目とゞまらぬ頃なれどいと物哀におぼさる。

 「入日さす峯にたなびくうす雲はものおもふ袖にいろやまがへる」。人聞かぬ所なればかひなし。御わざなども過ぎて事どもしづまりて、帝物心ぼそく思したり。この入道の宮の御母后の御世より傳りて、御祈の師にて侍ひける僧都、故宮にもいとやんごとなく親しきものにおぼしたりしをおほやけにも重き御おぼえにていかめしき御ぐわんども多くたてゝ世にかしこき聖なりける。年七十ばかりにて今は終のおこなひをせむとて籠りたるが、宮の御事によりて出でたるをうちより召しありて常にさぶらはせ給ふ。この比は猶もとの如く參りさぶらはるべきよし大臣も勸めのたまへば「今は夜居などいと堪へ難う覺え侍れど、仰言のかしこきによりふるき御志をそへて」とてさぶらふに、靜なる曉に人も近く侍はずあるはまかでなどしぬる程に古代にうちしはぶきつゝ世の中の事ども奏し給ふ序に「いと奏し難く