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ゝ明し暮すを、君も「猶かくてはえすぐさじ。かの近き所に思ひ立ちね」と勸め給へど、つらき所多く試みはてむも殘りなき心ちすべきをいかにいひてかなどいふやうに思ひ亂れたり。「さらばこの若君をかくてのみはびんなきことなり。思ふ心あればかたじけなし。對に聞き置きて常にゆかしがるをしばし見ならはせて袴着のことなども人知れぬさまならずしなさむとなむ思ふ」とまめやかに語ひ給ふ。さおぼすらむと思ひ渡る事なればいとゞ胸つぶれぬ。「改めてやむごとなき方にもてなされ給ふとも人の漏り聞かむことはなかなかにやつくろひ難くおぼされむ」とて放ち難く思ひたり。「ことわりにもあれど、うしろ安からぬ方にやなどはな疑ひそ。かしこには年經ぬれどかゝる人もなきがさうざうしく覺ゆるまゝにさきの齋宮のおとなび物し給ふをだにこそあながちにあつかひ聞ゆめればましてかく惡み難げなめる程をおろかには思ひ放つまじき心ばへになむ」とをんな君の御有樣の思ふやうなる事も語り給ふ。げに古はいかばかりの事に定り給ふべきにかとつてにもほの聞えし御心の名殘なくしづまり給へるはおぼろけの御宿世にもあらず。人の御ありさまもこゝらの御中にすぐれ給へるにこそはと思ひやられて、數ならぬ人のならび聞ゆべき覺えにもあらぬを、さすがに立ち出でゝ人も目ざましとおぼすことやあらむ、我が身はとてもかくても同じ事、おひさき遠き人の御上も、遂にはかの御心にかゝるべきにこそあめれ。さりとならばげにかう何心なき程にや讓り聞えましと思ふ。又手を放ちてうしろめたからむと徒然も慰む方なくてはいかゞ明し暮すべからむ。何につけてかたまさかの御立ちよりもあらむなどさまざ