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にかへりゆかしがれどうへのも宮のも片はしをだにえ見ず、いといたう祕めさせ給ふ。おとゞ參り給ひてかくとりどりに爭ひ騷ぐ心はへどもをかしくおぼして、同じくは御前にてかちまけ定めむとのたまひなりぬ。かゝることもやとかねておぼしければ、中にも殊なるはえりとゞめ給へるに、かの須磨明石のふたまきはおぼす所ありてとりまぜさせ給へりけり。中納言もその心劣らず、この比の世には唯かく面白き紙繪を整ふることを天の下いとなみたり。今改め書かむことはほいなきことなり。唯ありけむ限をこそとのたまへど、中納言は人にも見せで、わりなき窓をあけて書かせ給ふめるを、院にもかゝる事聞かせ給ひて梅壺に御繪ども奉らせ給へり。年の內の節會どもの面白く興あるを昔の上手どものとりどりに書けるに、延喜の手づから事の心書かせ給へるに又我が御世の事も書かせ給へる卷に、かの齋宮の下り給ひし日の大極殿の儀式御心にしみておぼしければ書くべきやう委しく仰せられて、公茂が仕う奉れるがいといみじきを奉らせ給へり。艷に透きたるぢんの箱に同じきこゝろばのさまなどいと今めかし。御せうそこはたゞ言葉にて、院の殿上にもさぶらふ左近中將を御使にてあり。かの大極殿の御輿寄せたる所のかうがうしきに、

 「身こそかくしめのほかなれそのかみの心のうちをわすれしもせず」とのみあり。聞え給はざらむもいとかたじけなければ、苦しくおぼしながら昔の御かんざしの端をいさゝか折りて、

 「しめのうちは昔にあらぬ心ちして神代のことも今ぞこひしき」とて、はなだの唐の紙に