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いざなはれにけり。須磨の御たびゐも遙に聞きて人しれず思ひやり聞えぬにしもあらざりしかど、傅へ聞ゆべきよすがだになくて筑波嶺の山を吹き越す風も浮きたる心地して聊のつたへだになくて年月かさなりにけり。限れる事もなかりし御たびゐなれど京に歸り住み給ひて又の年の秋ぞ常陸はのぼりける。關入る日しもこの殿石山に御ぐわんはたしにまうで給ひけり。京よりかの紀の守などいひし子ども迎に來たる人々「この殿かくまうで給ふべし」と吿げゝれば道のほどさわがしかりなむものぞとてまだ曉より急ぎけるを、をんな車多く所せうゆるぎくるに日たけぬ。うちいでの濱くるほどに殿は粟田山越え給ひぬとてごぜんの人々道もさりあへずきこみぬれば、せき山に皆おり居てこゝかしこの杉のしたに車どもかきおろしこがくれに居かしこまりて過ぐし奉る。軍などかたへはおくらかし先にたてなどしたれど猶るゐひろく見ゆ。車十ばかりぞ袖口物の色あひなども漏り出でゝ見えたる。田舍びずよしありて齋宮の御くだり何ぞやうの折の物見車おぼし出でらる。殿もかく世に榮へ出で給ふ珍しさに數もなきごぜんども皆目とゞめたり。ながつきつごもりなれば紅葉のいろいろこきまぜ霜がれの草むらむらをかしう見え渡るに、關屋よりさとはづれ出でたる旅姿どものいろいろのあをのつきづきしき縫物くゝりぞめのさまもさるかたにをかしう見ゆ。御車は簾垂おろし給ひてかの昔の小君今は右衞門の介なるを召し寄せて「今日の御關むかへはえ思ひすて給はじ」などの給ふ。御心の中いとあはれにおぼし出づること多かれど、