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えにける」とてかたびらを少しかきやり給へれば、例のいとつゝましげにとみにもいらへ聞え給はず。かくばかりわけ入り給へるが淺からぬに思ひおこしてぞほのかに聞え出で給ひける。「かゝる草がくれに過ぐし給ひける年月のあはれもおろかならず、また變らぬ心ならひに人の御心のうちもたどり知らずながら、分け入り侍りつる露けさなどをいかゞおぼす。年比の怠はたなべての世におぼし許すらむ。今より後の御心にかなはざらむなむいひしにたがふ罪もおふべき」など、さしもおぼされぬ。事もなさけなさけしう聞えなし給ふことゞもあめり。立ちとゞまり給はむも所のさまより始めまばゆき御有樣なれば、つきづきしうのたまひ過ぐして出で給ひなむとす。ひき植ゑしならねど、松のこ高くなりにける年月のほどもあはれに夢のやうなる御身のありさまもおぼしつゞけらる。

 「ふぢなみのうち過ぎがたく見えつるは松こそ宿のしるしなりけれ。數ふればこよなう積りぬらむかし。都にかはりにける事の多かりけるもさまざまあはれになむ。今のどかにぞひなのわかれに衰へし世の物語も聞えつくすべき。また年經給ひつらむ春秋の暮しがたさなども誰にかは憂へ給はむとうらもなく覺ゆるもかつはあやしうなむ」など聞え給へば、

 「年を經てまつしるしなき我が宿を花のたよりにすぎぬばかりか」と忍びやかにうちみじろき給へるけはひも袖の香も昔よりはねびまさり給へるにやとおぼさる。月入り方になりて西の妻戶のあきたるよりさはるべき渡殿だつ屋もなく軒のつまも殘りなければいと花やかにさし入りたればあたりあたり見ゆるに、昔に變らぬ御しつらひのさまなど、しのぶ草