Page:Kokubun taikan 01.pdf/311

このページは校正済みです

うやうかたちを顯し物侘しきことのみ數知らぬにまれまれ殘りて侍ふ人は「猶いとわりなし。この頃ずりやうどものおもしろき家づくり好むがこの宮のこだちを心につけて放ち給はせてむやとほとりにつきてあないし申さするをさやうにせさせ給ひていとかう物恐しからぬ御住ひにおぼしうつろはなむ、立ちとまり侍ふ人もいと堪へ難し」など聞ゆれど、「あないみじや、人の聞き思はむこともあり、生ける世にしか名殘なきわざはいかゞせむ。かく恐しげに荒れはてぬれど親の御影とまりたる心地するふるきすみかと思ふに慰みてこそあれ」とうち泣きつゝおほしもかけず、御調度どもゝいと古代になれたるが昔やうにてうるはしきをなまものゝ故知らむと思へる人、さるものえうじてわざとその人かの人にせさせ給へると尋ね聞きてあないするもおのづからかゝる貧しきあたりと思ひあなづりて言ひくるを、例の女ばら「いかゞはせむ、そこそは世の常の事」とて取りまぎらはしつゝ目に近きけふあすの見苦しさをつくろはむとする時もあるをいみじう諫め給ひて「見よと思ひ給ひてこそしおかせ給ひけめ、などてか輕々しき人の家の飾りとはなさむ。なき人の御ほい違はむが哀なること」とのたまひてさるわざはせさせ給はず。はかなきことにてもとぶらひ聞ゆる人はなき御身なり。唯御せうとのぜんじの君ばかりぞ稀にも京に出で給ふ時はさし覗き給へど、それも世になきふるめき人にて同じき法師といふ中にもたづきなくこの世を離れたるひじりにものし給ひて、しげき草よもぎをだにかきはらはむものとも思ひより給はず。かゝるまゝにあさぢは庭の面も見えずしげりよもぎは軒を爭ひて生ひのぼるむぐらはにしひん