Page:Kokubun taikan 01.pdf/303

このページは校正済みです

ど、昔だにつれなかりし御心ばへのなかなかならむ名殘は見じと思ひ放ち給へれば、渡り給ひなどする事は殊になし。あながちにうごかし聞え給ひても我が心ながら知り難くとかくかゝづらはむ御ありきなども所せうおぼしなりにたれば强ひたるさまにもおはせず。齋宮をぞいかにねびなり給ひぬらむとゆかしう思ひきこえ給ふ。なほかの六條のふるみやをいとよくすりしつくろひたりければみやびかにて住み給うけり。よしづき給へることふりがたくてよき女房など多くすいたる人のつどひ所にて物寂しきやうなれど、心やれるさまにて經給ふ程に、俄におもく煩ひ給ひて物のいと心細くおぼされければ、罪深きところに年經つるもいみじうおぼして尼になり給ひぬ。おとゞ聞き給ひて、かけがけしきすぢにはあらねど猶さるかたの物をも聞え合せ人に思ひ聞えつるに、かくおぼしなりにけるがくちをしうおぼえ給へば、驚きながら渡り給へり。飽かずあはれなる御とぶらひ聞え給ふ。近き御枕上におましよそひて脇息におしかゝりて御返りなど聞え給ふ。いたうよわり給へるけはひなれば絕えぬ心ざしの程はえ見え奉らでやとくち惜しうていみじう泣い給ふ。かくまでおぼしとゞめたりけるを女もよろづにあはれにおぼえて齋宮の御事をぞ聞え給ふ。「心細くてとまり給はむを必ず事に觸れてかずまへ聞え給へ。またみゆづる人もなくたぐひなき御有樣になむ。かひなき身ながらも今暫し世の中を思ひのどむる程はとざまかうざまに物をおぼし知るまで見奉らむとこそ思ひ給へつれ」とても消え入りつゝ泣き給ふ。「かゝる御事なくてだに思ひ放ち聞えさすべきにもあらぬを、まして心の及ばむに從ひては何事もうしろみ