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れかずまへ給ふべきにもあらず。歸らむにもなかぞらなり。けふは難波に船さしとめてはらへをだにせむとて漕ぎ渡りぬ。君は夢にも知り給はず、夜一夜いろいろの事をせさせ給ふ。誠に神の喜び給ふべき事をしつくして、きしかたの御ぐわんにもうちそへありがたきまで遊びのゝしりあかし給ふ。惟光やうの人は心のうちに神の御德を哀にめでたしと思ふ。あからさまに立ち出で給へるに侍ひて聞え出でたり。

 「すみよしのまつこそものは悲しけれ神代のことをかけて思へば」。げにとおぼし出でゝ

 「荒かりし浪のまよひに住吉の神をばかけてわすれやはする。しるしあり」などのたまふもいとめでたし。かの明石の船、この響におされて過ぎぬる事も聞ゆれば知らざりけるよと哀れにおぼす。神の御しるべおぼし出づるも愚ならねば聊なる御消そこをだにして心慰めばや、なかなかに思ふらむかしとおぼす。みやしろたち給ひてところどころに逍遙をつくし給ふ。難波の御はらへなど殊になゝ瀨によそほしう仕うまつる。堀江のわたりを御覽じて「今はた同じ難波なる」と御心にもあらでうちずじ給へるを、御車のもと近き惟光うけたまはりやしつらむ、さる召しもやとれいにならひて懷に設けたるつか短き筆など御車とゞむる所にて奉れり。をかしとおぼしてたゝうがみに

 「みをつくし戀ふるしるしにこゝまでもめぐり逢ひけるえにはふかしな」とて賜へれば、かしこの心しれるしもびとしてやりけり。駒なべてうち過ぎ給ふにも心のみ動くに、露ばかりなれどいとあはれにかたじけなくおぼえてうちなきぬ。