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ほしき入江の月かげにもまづ戀しき人の御事を思ひ出で聞え給ふにやがて馬ひきすぎて赴きぬべくおぼす。

 「秋の夜のつきげの駒よわがこふる雲居にかけれ時のまも見む」とうちひとりごたれ給ふ。造れるさま木ぶかくいたき所まさりて見所ある住ひなり。海のつらはいかめしうおもしろく、これは心ぼそくすみたるさま、こゝに居て思ひ殘す事はあらじとすらむとおぼしやらるゝに物哀なり。三昧堂近くて鐘の聲松の風に響きあひてものがなしう岩に生ひたる松の根ざしも心ばへあるさまなり。前栽どもに蟲の聲をつくしたり。こゝかしこの有樣など御覽ず。むすめすませたる方は心ことにみがきて月入れたる槇の戶口、氣色ばかりおしあけたり。うちやすらひ何かとの給ふにもかうまでは見え奉らじと深う思ふに物歎しうて、うちとけぬ心ざまをこよなうも人めいたるかな、さしもあるまじききはの人だにかばかりいひよりぬれば心强うしもあらずならひたりしを、いとかくやつれたるにあなづらはしきにやとねたう、さまざまにおぼし惱めり。情なうおし立たむも、ことのさまに違へり、心くらべに負けむこそ人わるけれなど亂れ怨み給ふさま、げに物思ひ知らむ人にこそ見せまほしけれ。近き几帳のひもに筝の琴のひき鳴されたるもけはひしどけなくうちとけながら、搔きまさぐりける程見えてをかしければ「この聞きならしたることをさへや」などよろづにの給ふ。

 「むつごとをかたりあはせむ人もがなうき世の夢もなかばさむやと」。

 「明けぬ夜にやがてまどへる心にはいづれを夢とわきてかたらむ」。ほのかなるけはひ伊