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に名を取れる人々かきなでの心やりばかりにのみあるをこゝにかう彈き込め給へりけるいと興ありけることかな。いかでかは聞くべき」との給ふ。「聞し召さむには何のはゞかりかは侍らむ。御まへに召してもあきびとの中にてだにこそふること聞きはやす人は侍りけれ。琵琶なむまことの手を彈きしづむる人いにしへも難う侍りしを、をさをさ滯ることなうなつかしき手などすぢことになむ。いかでたどるにか侍らむ。荒き浪の聲にまじるは悲しうも思う給へられながらかきつむる物なげかしさ紛るゝ折々も侍る」などすきゐたればをかしとおぼして箏の琴とりかへて給はせたり。げにいとすぐして搔い彈きたり。今の世に聞えぬすぢひきつけて手づかひいといたうからめきゆのねふかうすましたり。伊勢の海ならねど「淸きなぎさに貝やひろはむ」など聲よき人に謠はせて、我も時々ひやうしとりて聲うちそへ給ふを、琴彈きさしつゝめで聞ゆ。御くだものなど珍しきさまにて參らせ、人々に酒强ひそしなどしておのづから物忘れもしぬべきよのさまなり。いたく更け行くまゝに、松風凉しうて、月も入方になるまゝに、すみまさりて靜なるほどに御物語のこりなく聞えて、この浦に住み始めし程の心づかひ後の世をつとむるさまかきくづし聞えてこのむすめのありさま問はずがたりに聞ゆ。をかしきものゝさすがに哀と聞き給ふふしぶしもあり。「いととり申し難き事なれどわが君かうおぼえなき世界に假にてもうつろひおはしましたるは若し年頃おいぼうしの祈り申し侍る神ほとけの憐びおはしまして、暫しの程御心をも惱し奉るにやとなむ思う給ふる。その故は住吉の神を賴み始め奉りてこの十八年になり侍りぬ。めのわら