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りさま、みかどよりはじめ奉りてもてかしづきあがめられ奉り給ひしを、人の上も我御身の有樣もおぼし出でられて夢の心地し給ふまゝに、搔き鳴し給へる聲も心すごく聞ゆ。ふる人は淚もとめあへず。岡邊に琵琶筝の琴取りにやりて入道琵琶の法師になりていとをかしうめづらしうて、一つ二つ彈き出でたり。箏の御琴まゐりたれば少し彈き給ふもさまざまいみじうのみ思ひ聞えたり。いとさしも聞えぬ物の音だに折からこそはまさるものなるを、はるばると物の滯りなきうみづらなるに、なかなか春秋の花紅葉の盛なるよりは唯そこはかとなうしげれる陰どもなまめかしきに、水雞のうちたゝきたるは誰が門さしてと哀におぼゆ。ねもいとになう出づることゞもをいと懷しう彈き鳴したるも御心とまりて「これは女の懷しきさまにてしどけなく彈きたるこそをかしけれ」と大かたにの給ふを、入道はあいなくうち笑みて「遊ばすより懷しきさまなるはいづこのか侍らむ。なにがし延喜の御手より彈き傳へたること三代になむなり侍りぬるを、かう拙き身にてこの世のことは捨て忘れ侍りぬるを、物のせちにいぶせきをりをりはかき鳴し侍りぬるを、あやしうまねぶものゝ侍るこそしねんにかのせんだいわうの御手に通ひて侍れ。山伏のひが耳に松風を聞きわたし侍るにやあらむ。いかでこれ忍びて聞し召させてしがな」と聞ゆるまゝにうちわなゝきて淚落すべかめり。君「ことをことゝも聞き給ふまじかりけるあたりにねたきわざかな」とておしやり給ふ。「怪しう昔より箏は女なむ彈きとるものなりける。嵯峨の御つたへにて、女五の宮、さるよの中の上手に物し給ひけるをその御すぢにて取り立てゝ傅ふる人なし。すべて只今世