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ての人だにめやすきは見えぬ世界に、世にはかゝる人も坐しけりと見奉りしにつけて身のほど知られでいと遙にぞ思ひ聞えける。親たちのかく思ひあつかふを聞くにも似げなき事かなと思ふにたゞなるよりは物哀なり。四月になりぬ。衣更の御さうぞく、みちやうのかたびらなどよしあるさまにしいづ。よろづに仕うまつり營むをいとほしうすゞろなりとおぼせど、人ざまのあくまで思ひあがりたるさまのあてなるにおぼしゆるして見給ふ。京よりもうちしきりたる御とぶらひどもたゆみなくおほかり。のどやかなる夕月夜に海の上曇りなく見え渡れるも住み馴れ給ひし故里の池水に思ひまがへられ給ふに、いはむ方なく戀しきこといづかたともなく行くへなき心地し給ひて、唯目の前に見やらるゝは淡路島なりけり。「あはとはるかに」などの給ひて

 「あはと見る淡路の島の哀れさへ殘るくまなくすめる夜の月」。久しう手も觸れ給はぬきんを袋より取り出で給ひて、はかなく搔き鳴し給へる御さまを見奉る人もやすからず哀に悲しう思ひあへり。廣陵といふ手をあるかぎり彈きすまし給へるに、かの岡邊の家も松の響波の音にあひて心ばせある若き人は身にしみて思ふべかめり。何とも聞きわくまじきこのもかのものしはぶる人どもゝすゞろはしくて濱風をひきありく。入道もえ堪へで、くやうほふたゆみて急ぎ參れり。「更に背きにし世の中も取り返し思ひ出でぬべく侍る。後の世に願ひ侍る所のあり樣も思う給へやるゝ世の樣かな」となくなくめで聞ゆ。我が御心にも折々の御あそびその人かの人の琴笛、もしは聲の出しさま、時々につけて世にめでられ給ひしあ