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士どもほこらしげなり。須磨はいと心ぼそくて海士のいはやも稀なりしを人しげき厭ひはし給ひしかど、こゝは又さま異に哀なること多くて萬におぼしなぐさまる。あるじの入道行ひ勤めたるさまいみじう思ひすましたるを唯このむすめ一人をもてわづらひたる氣色、いと傍いたきまで時々漏し愁へ聞ゆ。御心ちにもをかしと聞きおき給ひし人なればかくおぼえなくてめぐりおはしたるもさるべき契あるにやと思しながら、猶かう身を沈めたる程はおこなひより外のことは思はじ、都の人もたゞなるよりはいひしに違ふと思さむも心恥しうおぼさるれば氣色だち給ふことなし。事に觸れて心ばせ有樣なべてならずもありけるかなとゆかしう思されぬにしもあらず。こゝにはかしこまりて身づからもをさをさ參らず物隔たりたるしもの屋にさぶらふ。さるは明暮見奉らまほしうあかず思ひ聞えていかで思ふ心をかなへむと、ほとけ神をいよいよ念じ奉る。年は六十ばかりになりたれどいと淸げにあらまほしう行ひさらぼひて、人の程のあてはかなればにやあらむ、うち僻みほれぼれしき事はあれど、いにしへの事をも見知りて物きたなからずよしづきたることもまじれゝば昔の物語などせさせて聞き給ふに少しつれづれのまぎれなり。年頃おほやけわたくし御いとまなくてさしも聞き置き給はぬ世のふることどもくづし出でゝ聞ゆ。かゝる所をも人をも見ざらましかばさうざうしくやとまでけふありと思す事もまじる。「かうは馴れ聞ゆれどいとけだかう心恥しき御有樣にさこそいひしがつゝましうなりてわがおもふことは心のまゝにもえうち出で聞えぬを、心もとなう口惜し」と母君といひ合せてなげく。さうじみもおしなべ