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 「海にます神のたすけにかゝらずは鹽のやほあひにさすらへなまし」。ひねもすにいりもみつる風の騷ぎに、さこそいへ、いたうこうじ給ひにければ心にもあらずうちまどろみ給ふ。かたじけなきおましどころなればたゞ寄り居給へるに故院唯おはしましゝさまながら立ち給ひて、「などかくあやしき所には物するぞ」とて御手を取りて引き立て給ふ。「住吉の神の導き給ふまゝにはや船出してこの浦を去りね」との給はす。いと嬉しくて、「畏き御影に別れ奉りにしこなた、さまざま悲しき事のみ多く侍れば今はこの渚に身をや捨て侍りなまし」と聞え給へば、「いとあるまじきこと。これは唯いさゝかなるものゝむくいなり。我は位にありし時、過つことなかりしかど、おのづからをかしありければその罪を終ふる程いとまなくて、この世をかへりみざりつれど、いみじき憂に沈むを見るに堪へ難くて海に入り渚にのぼり、いたくこうじにたれど、かゝる序にだいりに奏すべき事あるによりてなむ急ぎのぼりぬる」とて立ち去り給ひぬ。飽かず悲しくて、「御供に參りなむ」と泣き入り給ひて見上げ給へれば、人もなくて、月の顏のみきらきらとして夢の心地もせず。御けはひとまれる心ちして空の雲あばれにたなびけり。年頃夢の中にも見奉らで戀しう覺束なき御さまをほのかなれどさだかに見奉りつるのみ面影に覺え給ひて、我かく悲しみを極め命つきなむとしつるを助けにかけり給へると哀におぼすによくぞかゝるさわぎもありけると名殘たのもしう嬉しとおぼえ給ふ事限なし。胸つとふたがりてなかなかなる御心惑ひに、現の悲しきことも打ち忘れて夢にも御いらへを今少し聞えずなりぬる事といぶせさに、又や見え給ふと殊更に寢