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か。赦され給ひて參り給ふべきにつけても猶心にしみにしことのみぞあはれにおぼえ給ひける。七月になりて參り給ふ。いみじかりし御思ひの名殘なれば人のそしりもしろし召されず、例のうへにつとさぶらはせ給ひて、よろづにうらみかつはあはれに契らせ給ふ。御さまかたちもいとなまめかしう淸らなれど、思ひ出づる事のみ多かる心の內ぞかたじけなき。御遊のついでに「その人なきこそいとさうざうしけれ。如何にましてさ思ふ人多からむ。何事にも光なき心地するかな」とのたまはせて「院のおぼしのたまはせし御心を違へつるかな。罪うらむかし」とて淚ぐませ給ふに、え念じ給はず。「世の中こそあるにつけてもあぢきなきものなりけれと思ひ知るまゝに、久しく世にあらむものとなむ更に思はぬ。さもありなむにいかゞおぼさるべき。近き程の別に思ひおとされむこそねたけれ。生ける世にとは、げに善からぬ人の言ひ置きけむ」といと懷しき御さまにて、物をまことにあはれとおぼし入りてのたまはするにつけて、ほろほろとこぼれ出づれば「さりや、いづれにおつるにか」とのたまはす。「今までみ子達のなきこそさうざうしけれ、春宮を院のの給はせしさまに思へど、よからぬ事も出でくめれば心苦しう」など世を御心の外にまつりごちなし給ふ人々のあるに、若き御心の强き所なき程にていとほしとおぼしたる事も多かり。

須磨にはいとゞ心づくしの秋風に、海は少し遠けれど行平の中納言の、關吹き越ゆるといひけむ浦波よるよるは、げにいと近く聞えて又なくあはれなるものはかゝる所の秋なりけり。御まへにいと人ずくなにてうち休みわたれるに、一人目をさまして枕をそばだてゝ四方の嵐を聞き給ふに、浪たゞこゝ