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たすら世になくなりなむは言はむ方なくていふかひなきにてもやうやう忘草も生ひやすらむ、聞く程は近けれどいつまでと限ある御別にもあらぬをおぼすにつきせずなむ。入道の宮にも、春宮の御事によりおぼし歎くさまはいとさらなり。御宿世の程をおぼすにはいかゞ淺くはおぼされむ。年比は唯物の聞えなどのつゝましさに少しなさけある氣色見せば、それにつけて人の咎め出づる琴もこそとのみ偏におぼし忍びつゝあはれをも多う御覽じすぐしすくすくしうもてなし給ひしを、かばかりに浮世の人言なれどかけてもこの方には言ひ出づる事なくて止みぬるばかりの人の御おもむけも、あながちなりし心の引く方に任せず、かつはめやすくもて隱しつるぞかしとあはれに戀しうもいかゞおぼし出でざらむ。御返りも少しこまやかにて「このころはいとゞ、

  しほたるゝことをやくにて松島に年ふるあまもなげきをぞつむ」かんの君の御かへりには、

 「浦にたくあまだにつゝむ戀なればくゆるけぶりよ行くかたぞなき」さらなる事どもはえなむ」とばかり、いさゝかにて中納言の君の中にあり。おぼし歎くさまなどいみじくいひたり。あはれと思ひ聞え給ふふしぶしもあればうち歎かれ給ひぬ。姬君の御文は心殊に細やかなりし御返りなればあはれなる事多くて、

 「うら人のしほくむ袖にくらべ見よなみぢへだつる夜のころもを」物の色し給へるさまなどいと淸らなり。何事もらうらうしう物し給ふを思ふさまにて、今は殊に心あわたゞしう