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 「から國に名をのこしける人よりもゆくへ知られぬ家居をやせむ」渚に寄る浪のかつ返るを見給ひて「うらやましくも」と打ちずんじ給へるさま、さる世のふるごとなれども珍しく聞きなされ、悲しとのみ御供の人々思へり。うち顧み給へるに、來し方の山は霞はるかにて誠に三千里の外の心地するにかいの雫も堪へがたし。

 「ふる里を峯のかすみはへだつれどながむる空はおなじ雲井か」つらからぬものなくなむ。おはすべき所は行平の中納言のもしほたれつゝわびける家居近きわたりなりけり。海づらはやゝ入りてあはれに心すごけなる山中なり。垣のさまより始めて珍らかに見給ふ。茅屋ども葦ふける廊めくやなどをかしうしつらひなしたり。所につけたる御住まひやう變りて、かゝる折ならずばをかしうもありなましと昔の御心のすさびおぼしいづ。近き所々のみさうの司召して、さるべき事どもなど良淸の朝臣など親しきけいしにて仰せ行ふもあはれなり。時のまにいと見所ありてしなさせ給ふ。水深う遣りなし植木どもなどして、今はとしづまり給ふ心ちうつゝならず。國の守も親しき殿人なれば忍びて心よせ仕うまつる。かゝる旅所ともなく人さわがしけれども、はかばかしく物をものたまひ合すべき人しなければ、知らぬ國の心地していとうもれいたく、いかで年月を過ぐさましとおぼしやらる。やうやう事しづまり行くに長雨の頃になりて京の事どもおぼしやらるゝに戀しき人多く女君のおぼしたりしさま春宮の御こと、若君の何心もなく紛れ給ひしなどをはじめ、此處彼處思ひやり聞え給ふ。京へ人出だしたて給ふ。二條院へ奉り給ふと、入道の宮とはかきもやり給はずくら