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いよあはれなる御有樣を唯この大將殿の御心にもてかくされて過ぐし給ふなるべし。御弟の三の君、うちわたりにてはかなくほのめき給ひし名殘例の御心なればさすがに忘れもはて給はず、わざとももてなし給はぬに人の御心をのみ盡しはて給ふべかめるをも、このごろ殘ることなくおぼし亂るゝ世のあはれのくさはひには思ひ出で給ふに忍びがたくて、五月雨の空珍らしう晴れたる雲間にわたり給ふ。何ばかりの御よそひなくうちやつしてごぜんなども殊になく忍び給へり。中川の程おはするにさゝやかなる家の木立などよしばめるに、能くなる琴をあづまに調べて搔き合せ賑はゝしく彈き鳴すなり。御耳とまりて門近なる所なれば少しさし出でゝ見入れ給へば、大なる桂の木の追風に祭の頃おぼし出でられてそこはかとなくけはひをかしきを、唯一目見給ひしやどりなりと思ひ出で給ふにたゞならず程經にけるをおぼめかしくやとつゝましけれど過ぎがてにやすらひ給ふ。折しも郭公鳴きてわたる。もよほし聞えがほなれば御事推し返させ給ひて例の惟光を入れ給ふ。

 「をちかへりえぞ忍ばれぬほとゝぎすほのかたらひし宿のかきねに」。寢殿とおぼしき屋の西のつまに人々居たり。さきざきも聞き知る聲なりければこわづくり氣色とりて御せうそこ聞ゆ。若やかなる氣色どもあまたしておぼめくなるべし。

 「郭公ことゝふ聲はそれなれどあなおぼつかなさみだれのそら」。殊更にたどると見れば「よしよしうゑし垣根も」とて出づるを、人知れぬ心には妬うもあはれにも思ひけり。さもつゝむべきことぞかし。ことわりにもあればさすがなり。かやうのきはに筑紫の五節こそらう