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久しからむほどにかたちのことざまにてうたてげに變りて侍らばいかゞおぼさるべき」と聞え給へば、御顏をうちまもり給ひて「式部がやうにやいかでかさはなり給はむ」と笑みてのたまふ。いふかひなくあはれにて「それは老いて侍れば醜きぞ、さはあらで髮はそれよりも短くて黑ききぬなどを着て夜居の僧のやうになり待らむとすれば見奉らむ事もいとゞ久しかるべきぞ」とて泣き給へば、まめだちて、「久しうおはせねば戀しきものを」とて淚のおつれば恥かしとおぼしてさすがに背き給へる、御ぐしはゆらゆらと淸らにてまみの懷しげに匂ひ給へるさま、おとなび給ふまゝに唯かの御顏をぬぎすべ給へり。御齒の少し朽ちて口の中黑みて笑み給へるかをり美しきは女にて見奉らまほしう淸らなり。いとかうしも覺え給へるこそ心憂けれと玉の瑕におぼさるゝも、世の煩はしさのそら恐しうおぼえ給ふなりけり。大將の君は宮をいと戀しう思ひ聞え給へどあさましき御心のほどを時々は思ひ知るさまにも見せ奉らむと念じつゝ過ぐし給ふに人わろくつれづれにおぼさるれば、秋の野も見給ひがてら、うりん院にまうで給へり。故母みやす所の御せうとの律師の籠り給へる坊にて法もんなど讀み、行ひせむとおぼして二三日おはするにあはれなる事多かり。紅葉のやうやう色づきわたりて秋の野のいとなまめきたるなど見給ひつゝ故鄕も忘れぬべくおぼさる。法師ばらのさえあるかぎり召し出でゝ論義せさせて聞し召させ給ふ。所がらにいとゞ世の中の常なきをおぼし明しても、猶うき人しもぞとおぼし出でらるゝ。おしあけ方の月影に法師ばらの閼伽奉るとてからからと鳴しつゝ菊の花、濃き薄き紅葉など折りちらしたるも