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しざまにもあらず萬の事をなくなく恨み聞え給へど、誠に心づきなしとおぼして御いらへも聞え給はず「唯心地のいと惱しきをかゝらぬ折もあらば聞えてむ」とのたまへど盡きせぬ御心の程を言ひ續け給ふ。さすがにいみじと聞き給ふふしもまじるらむ。あらざりしことにはあらねど改めていと口惜しうおぼさるれば懷しきものからいとようのたまひ遁れて今宵も明けゆく。せめて從ひ聞えざらむもかたじけなく心耻しき御けはひなれば「唯かばかりにても時々いみじき憂へをだに晴け侍りぬべくは、何のおほけなき心も侍らじ」などたゆめ聞え給ふべし。なのめなることだにかやうなるなからひはあはれなることも添ふなるをまして類ひなげなり。明けはつれば二人していみじき事どもを聞え、宮はなかばなきやうなる御氣色の心苦しければ、世の中にありと聞し召されむもいとはづかしければやがて亡せ侍りなむも又この世ならぬ罪となり侍りぬべきことなど聞え給ふも、むくつけきまでおぼし入れり。

 「逢ふことのかたきを今日にかぎらずば今幾世をかなげきつゝ經む。御ほだしにもこそ」と聞え給へばさすがにうち歎き給ひて、

 「長き世のうらみを人にのこしてもかつは心をあだとしらなむ」。はかなくいひなさせ給へるさまのいふよしなき心地すれど、人のおぼさむ所も我が御ためも苦しければわれにもあらで出で給ひぬ。いづこをおもてにかは又も見え奉らむ、いとほしとおぼし知るばかりとおぼして御文も聞え給はずうち絕えて內、春宮にも參り給はず、籠りおはして起き臥しいみじかりける人の御心かなと人わろく戀しう悲しきに心だましひも失せにけるにや惱しうさ