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らせ給へり。院の御心よせもあればなるべし。出で給ふほど大將殿よりれいの盡きせぬことども聞え給へり。「かけまくも畏きおまへに」とて木綿につけて「なる神だにこそ、

  八洲もる國つ御神もこゝろあらば飽かぬわかれの中をことわれ。思ひ給ふるに飽かぬ心地し侍るかな」とあり。いとさわがしきほどなれど御かへりあり。宮のおほんをばによ別當して書かせ紿へり。

 「國つ神そらにことわる中ならばなほざりごとをまづやたゞさむ」大將は御有樣ゆかしうて內裏にも參らまほしうおぼせど、うち棄てられて見送らむも人わろき心地し給へば、おぼしとまりて徙然にながめ居給へり。宮の御返りのおとなおとなしきをほゝゑみて見居給へり。御年のほどよりはをかしうもおはすべきかなとたゞならず、かやうにれいに違へる煩はしさに必ず心かゝる御癖にていと能う見奉りつべかりし、いはけなき御程を見ずなりぬるこそ妬けれ、世の中さだめなければたいめするやうもありなむかしなどおぼす。心にくゝよしある御けはひなれば物見車多かる日なり。申の時にうちに參り給ふ。御息所御輿に乘り給へるにつけても、父おとゞのかぎりなきすぢにおぼし心ざしていつき奉り給ひし有樣かはりて末の世に內を見給ふにも物のみつきせずあはれにおぼさる。十六にて故宮に參り給ひて、はたちにて後れ奉り給ふ。三十にてぞ今日また九重を見給ひける。

 「そのかみを今日はかけじと忍ぶれど心のうちにものぞかなしき」齋宮は十四にぞなり給ひける。いと美しうおはするさまをうるはしうしたて奉り給へるぞいとゆゝしきまで見