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 「今も見てなかなか袖をくたすかなかきほ荒れにしやまとなでしこ」。猶いみじうつれづれなれば朝顏の宮に今日のあはれはさりとも見知り給ふらむと推し量らるゝ御心ばへなれば暗きほどなれど聞えたまふ。絕間遠けれど、さのものとなりにたる御文なれば、とがなくて御覽ぜさす。空の色したる唐の紙に

 「わきてこの暮こそ袖は露けゝれ物おもふ秋はあまたへぬれど。いつも時雨は」とあり。御手などの心とゞめてかき給へる「常よりも見所ありてすぐし難きほどなり」と人々も聞え自らもおぼされければ、大內山を思やり聞えながら「えやは」とて

 「秋ぎりに立ちおくれぬと聞きしよりしぐるゝ空もいかゞとぞ思ふ」とのみほのかなる墨つきにて思ひなし心にくし。何事につけても、みまさりは難き世なめるをつらき人しもこそは哀に覺え給ふ人の御心ざまなり。つれなながらさるべき折々の哀をすぐし給はぬ、これこそかたみになさけも見えつべきわざなれ。猶ゆゑよし過ぎて人目に見ゆばかりなるはあまりの難も出できけり。對の姬君をさはおほし立てじとおぼす。徒然にて戀しと思ふらむかしと忘るゝ折なけれどたゞめおやなき子を置きたらむ心地して見ぬ程うしろめたく、いかゞ思ふらむと覺えぬぞ心やすきわざなりける。暮れはてぬればおほとなぶら近くまゐらせ給ひてさるべきかぎりの人々おまへにて物語などせさせ給ふ。中納言の君といふは年頃忍びおぼしゝかど、この御思ひのほどはなかなかさやうなるすぢにもかけ給はず、哀なる御心かなと見奉るに大方には懷かしくうち語らひ給ひて「かうこの日比ありしよりけに誰も誰