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いとうきものに思ししみぬれば、たゞならぬ御あたりのとふらひどもゝ心うしとのみぞなべておぼさるゝ。院におぼしなげきとぶらひ聞えさせ給ふさま、かへりておもだゝしげなるを嬉しきせもまじりておとゞは御淚のいとまなし。人の申すに隨ひていかめしきことゞもを生きやかへり給ふとさまざま殘ることなくかつ損はれ給ふ事どものあるを見る見るもつきせずおぼし惑へど、かひなくて日頃になればいかゞはせむとて鳥野邊にゐて奉るほどいみじげなる事多かり。此方彼方の御送の人ども寺々のねんぶつの僧などそこら廣き野に所もなし。院をば更にも申さずきさいの宮春宮などの御使、さらぬ所々のも參りちがひて飽かずいみじき御吊ひを聞え給ふ。おとゞはえ立ちもあがり給はず、かゝる齡の末に若く盛の子に後れ奉りて、もこよう事と耻ぢ泣き給ふをこゝらの人悲しう見奉る。よもすがらいみじうのゝしりつる儀式なれど、いともはかなき御かばねばかりを御名殘にて曉深くかへり給ふ。常の事なれど人ひとりか、あまたしも見給はぬ事なればにやたぐひなくおぼしこがれたり。八月廿日餘の有明なれば空の氣色も哀すくなからぬにおとゞのやみに暮れ惑ひ給へるさまを見給ふもことわりにいみじければ空のみながめられ給ひて、

 「のぼりぬる煙はそれとわかねどもなべて雲居の哀なるかな」。殿におはしつきても露まどろまれ給はず。年比の御有樣をおぼし出でつゝなどてつひにはおのづから見直し給ひてむとのどかに思ひて等閑のすさびにつけてもつらしと覺えられ奉りけむ。世を經て疎く耻しきものに思ひて過ぎはて給ひぬるなど悔しき事多くおぼし續けらるれどかひなし。にば