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し出でられつゝ、いと程經にけるも心苦しく、またけぢかくて見奉らむにはいかにぞやうたて覺ゆべきを、人の御ためいとほしうよろづにおぼして御文ばかりぞありける。痛う煩ひ給ひし人の御名殘ゆゝしう、心ゆるびなげに誰もおぼしたればことわりにて御ありきもなし。猶いと惱ましげにのみし給へば例のさまにてもまだたいめんし給はず。若君のいとゆゝしきまで見え給ふ御有樣をいまからいとさま殊にもてかしづき聞え給ふさまおろかならず。ことあひたる心地しておとゞも嬉しういみじと思ひ聞え給へるに、唯この御心地怠りはて給はぬを心もとなくおぼせど、さばかりいみじかりし名殘にこそはとおぼして、いかでかはさのみは心をも惑はし給はむ、若君の御まみの美しさなどの春宮にいみじう似奉り給へるを見奉り給ひてもまづ戀しう思ひ出でられさせ給ふに忍び難くて、參り給はむとて「內などにもあまり久しく參り侍らねば、いぶせさに今日なむうひだちし侍るを、少しけぢかき程にて聞えさせばや。餘りおぼつかなき御心の隔かな」と怨み聞え給へれば、「げに唯偏に艷にのみあるべき事かは」とて、臥し給へる所に、おまし近う參りたれば入りて物など聞え給ふ。御いらへ時々聞え給ふも、猶いと弱げなり。されどむげになき人と思ひ聞えし御有樣をおぼし出づれば、夢の心地して、ゆゝしかりしほどの事どもなど聞え給ふついでにもかのむげに息も絕えたるやうに坐せしが引きかへしつぶつぶとのたまひし事ども思し出づるに心憂ければ「いざや聞えまほしき事いと多かれどまだいとたゆげに思しためればこそ」とて「御湯參れ」などさへあつかひ聞え給ふを、いつ習ひ給ひけむと人々哀れがり聞ゆ。いとをかしげな