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尻目なり。「などてかさしもあらむ。立ちながら歸りけむ人こそいとほしけれ。まことはうしや世の中よ」といひ合せて、「とこの山なる」とかたみに口かたむ。さてその後はともすれば事の序ごとに言ひ迎ふるくさはひなるを、いとゞ物むつかしき人ゆゑとおぼし知らるべし。女は猶いとえんに恨みかくるを侘しと思ひありき給ふ。中將は妹の君にも聞え出でず、唯さるべき折のおどしぐさにせむとぞ思ひける。やんごとなき御腹々のみこたちだに上の御もてなしのこよなきに煩はしがりていとことに去り聞え給へるを、この中將は、更に押しけたれ聞えじとはかなき事につけても思ひ挑み聞え給ふ。この君一人ぞ姬君の御ひとつはらなりける。みかどの御子といふばかりにこそあれ、我も同じだいじんと聞ゆれど御おぼえ殊なるが、みこばらにて又なくかしづかれたるは何ばかり劣るべき際と覺え給はぬなるべし。人がらもあるべきかぎり整ひて何事もあらまほしくたらひてぞ物し給ひける。この御中どものいどみこそ怪しかりしか。されどうるさくてなむ。

七月にぞきさき居給ふめりし。源氏の君宰相になり給ひぬ。みかどおり居させ給はむの御心づかひ近うなりて、このわかみやを坊にと思ひ聞えさせ給ふに御後見し給ふべき人おはせず、御母方皆みこたちにて源氏のおほやけごとしり給ふすぢならねば、母宮をだに動きなきさまにし置き奉りてつよりにとおぼすになむありける。弘徽殿いとゞ御心動き給ふ、ことなりなり。されど「春宮の御世いと近くなりぬれば疑ひなき御位なり。おもほしのどめよ」とぞ聞えさせ給ひける。「げに春宮の御母にて二十餘年になり給へる女御を置き奉りては引き越し奉り難き事なりかし」